突撃!となりの正月ごはん
全国各地で作られているお正月の定番「雑煮」は、地域の特徴が色濃く出る料理です。
古くは室町時代から伝わる縁起の良い食べ物で、庶民の間では江戸時代に定着したと言われています。
商業捕鯨が盛んだった時代の牡鹿半島では、捕鯨産業の発展とともに地域外、特に捕鯨基地出身者が移住してきました。
お雑煮にもその影響があったようです。
牡鹿半島ではどのようなお雑煮が作られているのか、捕鯨が盛んだった時の特徴が残っているのかを調べてみました。
今回の調査は、牡鹿半島在住者を対象にアンケートを配布しました。
19名の方からいただいたご回答をご報告します。
使われる具材の傾向
全体的に鶏をベースとしたすまし汁(醤油・塩で味つけ)が多いです。
西日本でよく使われると言われている味噌(主に白味噌)はどの家庭でも使われていませんでした。
また、谷川浜出身の方からはホヤでだしを取っているというご回答をいただきました。
野菜は
・人参
・大根
・ごぼう
がほぼすべての家庭で使われてます。
この3種類はひき菜(千切り)にされているのがポイント(宮城県のお雑煮の特徴)です。
ひき菜にした後一度凍らせる調理方法もありますが、ここではそのまま使われているようです。
また、豆もやしを使う家庭も多いことがわかりました。
たんぱく質のようなメインとなる具材は、圧倒的に鶏肉が多い結果となりました。
鶏ベースのだしを使っているので、納得の結果です。
鶏肉のほか、漁師町らしく海産物が入ったりもします。
特に多いのがトッピング用のいくらで、ホヤやカキなどの牡鹿半島の主要な養殖物も入れられています。
練り物はほぼすべての家庭で使われていますが、その多くは板かまぼこ(とくに紅白)のようです。
家庭によっては、甘めの味つけに伊達巻やカステラかまぼこをトッピングしています。
飾り菜はセリを入れる家庭がほとんどでした。
宮城県は「仙台せり」や「河北せり」の生産地として有名ですよね。
乾物という枠でくくっていいのか迷いましたが、凍豆腐を使っている家庭も半数近くみられました。
昔の思い出
全体的な傾向を探りつつお話を伺うと、商業捕鯨時代の名残はあまり残っていないことがわかりました。
(回答数が少ないというのもあると思いますが……)
集計結果に反映することは叶わなかったエピソードをご紹介します。
餅を煮るので後半とけてくるというのか、とにかく最後のどろどろ感が最高です。
(千々松正行さん・東彼杵の味)
千々松さんは商業捕鯨が盛んだった時代、おじいさまが鮎川に移住してきました。
今ではもう東彼杵のお雑煮は作られていないそうですが、レシピをなんとか思い出し、そのエピソードも教えていただくことができました。
千々松家(東彼杵)のお雑煮の特徴は、とにかく餅がやわらかいこと。
鍋の中に餅を入れ、煮て調理するので、最終的にやわらかいを通り越してどろどろにとけてしまうそうです。
千々松さんはその味が忘れられないようで、その食感の魅力を力説していました。
また違うご家庭では、商業捕鯨が行われていた時代に鯨の皮が使われていたというお話を聞くことができました。
鯨の町らしさが感じられます。
おわりに
今回それぞれのご家庭のお雑煮について直接お話を伺うことで、お雑煮は郷土料理であると同時に、家庭ごとの個性が強く出る料理であることを実感しました。
調味料や餅の形、調理方法などは西日本と東日本で大別できますが、家族が食べやすいように餅の調理方法や具材も少しずつ変化していました。また、夫婦それぞれの実家の具材が少しずつ混ざり合うケースもあるようです。
当たり前のように食べているお雑煮が実はよその家庭では普通ではない、ということは十分に考えられます。
「うちのお雑煮は大したことないから……。」と仰る方も多かったのですが、ぜひご家庭の味を大切にしてほしいです。
また、アンケートを依頼しつつお話を伺う中で心に残ったのが、とある方の「いくらは高くて具材として使わなくなった」という一言でした。
こちらは単純な金銭の問題ではなく、水産資源の減少を連想させられるコメントであると感じました。
環境の危機を訴える話題は日常的に飛び交っていますが、自分ごととして捉え、さらにそこから自発的にアクションを起こすということはなかなか難しいことです。
その点で考えると、「食」はとても身近です。
近年ではサンマの漁獲量の激減やホタテの死滅など、枚挙にいとまがありません。
必ずしも地球温暖化と結びつくと言い切ることはできませんが……、食・食文化が環境問題について考えるきっかけになればいいなと思いました。